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​『 魂を抱える/ Di dalam diriku 

2020

インドネシア、ジョグジャカルタにて撮影

 

インドネシア、ジャワは様々な宗教で溢れている。ムスリム、クリスチャン、ヒンドゥー、

ブッディスト、様々な宗教の人々が同じ土地に共存している。これらの名前のついたあらゆる宗教が伝来するよりも以前、ジャワには独自の民族宗教があった。

Kejawenと呼ばれるそれは、現代ではアニミズムと呼ばれる類の信仰で、世界のあらゆる自然物を折りの対象としている。

儀式も自然の中で行うものが多く、特に海や山は特別神聖な場所であり、彼らにとって山は生まれる場所、始まりの場所であり、海は魂が帰っていく場所、終わりの場所である。

“すべてのものに魂は宿る”

Kejawenにおける、核となる考え方である。

木や草花、動物、人、あらゆる世界の物に、魂は宿る。私たちは皆同じ、魂の器である。

インドネシアのジョグジャカルタで暮らした期間、自然や動物たちの存在を暮らしの中で強く感じた。

ニワトリやネコは道を自由に関歩しているし、羊も牛もヤギも、そこら中にいる。

バナナの葉は丈夫なので、小さなお弁当の包み紙になったりする。

雨が降れば熱帯植物の大きな葉が雨を凌いでくれる。

朝日がのぼるのと共に一斉に飛び回る羽虫がいる。

私は多分、生まれて初めて、動植物たちと一緒に生きる感覚、というものを実感した。

私たちは毎日のように肉や野菜、穀物を食べる。

それら全ては元々生き物であり、私たちは日々、命を奪い命を繋いでいる。

こんな単純な事実に目を向けることが、都市に住んでいる時は無かった。

頭では理解していても、都市に住んでいる限り、動物が屠殺され肉に変わっていく過程を見る機会など無い。

スーパーの、綺麗にバッキングされ整列したピンク色の肉を見て、

私はどのくらい命に思いを馳せられるのだろう。

 

お腹に描いた小さな人は、その人自身の裸の魂である。

裸になってしまえば、人も動物も、似たようなものだ。

姿形は違えど、私たちは皆同じ、魂の器。

人も、動物も、植物も、虫も、魚も、同じようにひとつ、小さな魂を抱え、

この地球で生きている。

 

私が命を大切に思う時、私もまた、命に大切に思われるのかもしれない。

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